新むつ旅館(八戸)- Y字階段に空中回廊、元遊郭だった文化財登録の老舗旅館

f:id:tmja:20170829142655j:plain

青森県八戸の陸奥湊にはかつて港町の大歓楽街が広がり、明治〜大正に殷賑を極めた頃には料理屋や遊女屋が所狭しと軒を連ねて、東北の不夜城と呼ばれていました。今回は八戸にある100年の歴史を誇る老舗旅館に宿泊してみました。

f:id:tmja:20170829142648j:plain

港に近い浦町だけでは旺盛な需要に足らずび、内陸側(小中野)にその歓楽街は拡大していき、不自然な鍵の手(S字クランク)のカタチが残るこの道も道の左右に大店が建ち並んでいた遊郭街だった事を物語っているかのようです。f:id:tmja:20170829142659j:plain

更に拡大した新地の突き当たりに今回の目的地はありました。路駐している自動車と比較すると分かり易いと思いますが、唯の路地にしては異様に横幅があり、突き当たりは袋小路となる訳ありな場所の雰囲気。

f:id:tmja:20170902195405j:plain

この周辺の地図です。浦町と新地の地区を赤枠で囲ってみました。

f:id:tmja:20170829142708j:plain

新むつ旅館はこの袋小路の突き当たり近くにありました。明治31年(1898年)に新陸奥楼として開業し、芸者もいる貸座敷(遊郭)として長く営業を続けました。久八線の開通で陸奥湊を素通りする客が増え、第二時世界大戦で更に影を落とし、昭和32年の売春防止法制定を機に旅館転業をして現在に至った100年以上を経た歴史がある老舗旅館です。

f:id:tmja:20170829142714j:plain

切妻造り、鉄板葺の平入木造2階建て、唐破風の玄関に鬼瓦の正面には「まるさ」の屋号。軒天井は桜材が使われており、2階軒の出桁に照明を付けた独自のつくりが特徴が見られます。紅灯のなか、弦歌さんざめく明治の頃はどれ程豪奢な佇まいだったのか...。

f:id:tmja:20170829142724j:plain

両開きの戸を開くと、何故か右手に大きな桐の箪笥が二竿。以前にお邪魔した時にはなかったはずです。後で女将さんに訊ねてみると、近所の知人の方が家に置くところがないのでと持ち込んだのを引き受けたのだとか・・。夜の帳が降りる頃には、この三和土をバチバチと叩き、営業開始の合図が威勢よく響いたはずの入口に入りました。

f:id:tmja:20170829142519j:plain

「すみませーん、お邪魔しましています」と奥に声をかけるも反応なし。明治32年より飾られているという「おたふくさん」を見たりしながら吹き抜けのある広間で気長に待つことにしました。

f:id:tmja:20170829142629j:plain

暫くして出てきたのは女将さん。最近インターネットにみっともない格好の写真が載ったと言われていたので、バッチリ和装で決めた女将さんと大将の二人の写真を載せてみました。ウェルカムドリンクとして酒粕を牛乳で溶いた甘酒のような飲物を頂き、長年連れ添った旦那さんが今年亡くなったと、この日に初めて知ることになりました。

f:id:tmja:20170829142739j:plain

通りに面した格子窓のある小部屋。ここで遊女達が煙管をくねらせて、客と遊女が互いに品定めをしていたのでしょうか?

f:id:tmja:20170829142746j:plain

蔵を取り壊した時に出てきた昔の帳簿の数々。中身を見ると、顧客の名前に背格好等の特徴や相方等の超個人情報のオンパレード。非常に貴重な資料と言われコピーを展示することにしたらしいのですが、何故か原本も一緒に置かれていたりしました。

f:id:tmja:20170829142636j:plain

玄関から上がった広間で見上げると、天窓が天井に設けられているのに気が付きました。東日本大震災で此の建物もだいぶ揺れたそうですが、この辺りは台地が海にせり出した上に乗っているので地盤が強く、被害は少なかったと女将さんは言っていました。

f:id:tmja:20170829142427j:plain

広間から2階へは洋風意匠のY字階段で向かいます。訪れた時には上に見えている空中回廊の手摺の部分に沢山洗濯物が干されていました。昔の人は身長が現在程高くなかったらしく、自分の身長では気を抜くと頭をゴツンとしてしまい、女将さん笑われてしまうことに。

f:id:tmja:20170829142432j:plain

Y字階段の踊り場?、二手に別れる部分から見上げてみると、空中廊下の手摺も凝った造りだと分かります。その向こうは先程に見上げた天窓部分が見えています。

f:id:tmja:20170829142527j:plain

先程昇ったY字階段を上から覗いてみました。昔は柿渋で磨かいたという階段の木の質感が素晴らしい。

f:id:tmja:20170829142804j:plain

通りに面した2間続きの部屋です。この日の宿泊者は自分だけと聞き、この100年を超える遊郭を貸切できるのかと喜びながら探索させて頂きました。この2間は宴会での使用が主だったとか。

f:id:tmja:20170829142759j:plain

欄間に折り鶴の釘隠しが見えますがレプリカとのこと。不埒なお客さんがみな持っていってしまい、オリジナルは一つ上の写真に写っている部屋の床の間に残るのみになってしまったそうです。

f:id:tmja:20170829142436j:plain

空中廊下渡り反対側へ向かいます。高い場所に神棚が祀られているのが見えます。一階の様子も目に入り文字通りに高揚した気分で、当時の遊客もこの空中回廊の舞台を歩いたのでしょう。

f:id:tmja:20170829142616j:plain

自分が宿泊した部屋に掲げられていた将棋の駒。将棋(しょうぎ)=娼妓(しょうぎ)の言葉遊びなのかなと思いました。

f:id:tmja:20170829142810j:plain

女将さんに案内を受けたのは二間続きのこちらの部屋。玄関から此処までの雰囲気を、落語の廓話の明烏とかを思い出しながら歩いてみました。新むつ旅館は、館の内外ともに100年以上もの年月を経ても新陸奥楼の佇まいを保っているかのようです。

f:id:tmja:20170829142452j:plain

自分の部屋に入る前に隣の部屋の入口が開いていたので少し見てみました。全5間あるうちで、客室として使われているなかでは1番狭いところの様です。

f:id:tmja:20170829142815j:plain

今回宿泊した部屋はこちら。

f:id:tmja:20170829142604j:plain

明治期の写真が飾られており、見てみると女将さんの義母様も写っていました。

f:id:tmja:20170829142447j:plain

部屋の反対側には既に布団が敷かれていました。他に客がいないので2階の障子襖は全開。クーラーはないですが風通しが良く、開放感があり気分良く過ごせます。

f:id:tmja:20170829142642j:plain

床の間には明治34年と箱書きのある九谷焼。鏡台は栗の木製といろいろと古い物々が飾られています。 

f:id:tmja:20170829142819j:plain

この部屋は通りの反対側でしたが、こちらにも渋い小廊下があり、先には隠し階段の手摺が見えています。

f:id:tmja:20170829142822j:plain

娼妓がコッソリと客の部屋を訪れる為か、客同士しが顔を合わせないようにとの工夫か、遊郭には大体このような隠し階段があったりします。

f:id:tmja:20170829142423j:plain

此処を降りると、女将さん家族の住居区間や食堂や風呂場につながる廊下に出ました。

f:id:tmja:20170829142511j:plain

f:id:tmja:20170829142624j:plain

夕食と朝食は女将さんの手料理。朗らかな性格の女将さんとの話しが弾み、ご夫婦でイタリアに住まわれていた頃の話しや三沢基地の米軍駐在マダムとよく出かけた話し、新むつ旅館の改修の苦労話しと色々と聞くことができました。

f:id:tmja:20170829142443j:plain

遊郭に登楼して遊んで満足した客の気分になり、黒光りする廊下を最後に歩いてからチェックアウトしました。国内でも遊郭として堂々と文化財登録されているのは数箇所、その貴重な建屋の新むつ旅館を偶然にも貸切りで往時の雰囲気を存分に楽しむことができ幸運でした。

自分の母親より年上の女将さんは元気一杯で、この建物を非常に大切にされているのが話しの隅々で伝わってき、これからも末永く新むつ旅館と共に元気であって欲しいと願うばかりです。

ここ数年で宿泊したホテル/旅館のなかで、新むつ旅館は自分のなかで文句のナンバーワンと言えるぐらいに気に入ってしまいました。少し早い気もしましたが家族4人での予約の話しもさせて頂き、再訪を最も楽しみにしている旅館です。