博物館になってしまう大連賓館/ヤマトホテル大連(旧名)中山広場正面のスイートルームに泊まってみました(後編)

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部屋の準備ができたと言われ、客室のある最上階4階まで螺旋階段を登っていきます。映像の中でしか観なくなったような空間なので、エレベーターもありましたが、どちらかと言うとコチラを味わいたくて階段ばかりを滞在中は使用していました。

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4階に到着です。廊下の幅が広く唐草模様の艶やかな敷物があり、いかにも歴史のあるホテルという風情。各階に服務員さんがおり、20年前であれば「開水(沸騰させた水)」の入った魔法瓶を貰える場所だったのでしょう…。

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室内に入ってみます。2間続きの部屋の居間の部分です。天井が高く開放的で古いホテルによくあるスタイル。改装がされているのか、以前に自分が部屋に入って見た事のある様子と大分違う印象をまず受けました。

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入口側の様子。ベッドが壁際に1台置かれています。

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隣の寝室には2台のベッドが置かれています。窓の大きさなのか角度の問題なのか、隣の部屋に比べて日中は日が入って来ないので涼しくて静かな空間でした。

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バスタブのある浴室です。部屋全体もそうですが、特別な部屋というよりは3つ星級ホテルの広い部屋と言ったところでした。

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ベッドが3つある部屋なので、3人分のアメニティセットが準備されいました。このホテルを中山広場側から見た絵がプリントされており、記念にとひとつ持ち帰ったところ、歴史好きな妻に目敏く発見されてしまいました。

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今回は中山広場正面の部屋と指定したのは、ヤマトホテル大連から見える風景を一日静かに堪能したいとおもったからでした。昼間は仕事で出かけてしまいましたが、日が暮れる前から日没までの間に、薄暗くなる広場に昔の大連が蘇るかのように明かりが灯っていく姿を堪能することができました。

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労働公園近くにある海鮮料理で有名な「万宝海鮮舫」で食事にでもと誘われて、待ち合わせ時間の少し前に中山広場を散歩してみました。ライトアップされた正面のクラシックな建物は横浜正金銀行大連支店(現・中国銀行大連支店)。公園内の木々もライトアップされており、沢山の人出で賑わっています。

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南側には宿泊している大連賓館。2枚上の写真で見るとわかり易いかと思いますが、ホテル前の人垣はダンスの見物客です。此処で流している賑やかな音楽は、深夜まで部屋の中に聞こえていました。

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柱頭に渦巻きがあるのでイオニア式?の柱は正面だけでなく側面にも並び、昼でも威厳のある佇まいが、夜になるとより引き立って見えます。夜11時前に戻って来たらフロントには誰もおらず、外の喧騒とは無縁の静かな空間で、ギーと音を立てながら螺旋階段を上っていると、本当に噂の日本兵の幽霊が出てきてもおかしくない雰囲気です。

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翌朝目覚めて、建物の奥にある螺旋階段を利用して降りていきます。この階段はホテルロビーを通らずに外に出る通路とつながっています。愛新覚羅溥儀の宿泊したのが最上階でなく、2階の奥まった場所にある208号室だったのは、この階段を通ることで人目に付かずに出られるからだったのかと考えました。

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朝食会場へつながる通路も趣きがあります。リットン調査団や毛沢東、金日成もこの通路を通ったのでしょう。

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6灯の照明の後ろの白天井にも汚れが目立ちます。

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このホテルの主宴会場(友誼宮)。たしか、毛沢東の子供も此処で結婚式挙げたと聞いた記憶が...。2階部分には李香蘭がステージとして立ったバルコニーがあり、その奥は特別室。位置関係が不明瞭ですが、2階にある100周年展示室は宴会場の特別室を利用したものだと思います。

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ピンクの大理石の横にはヤマトホテル大連時代の写真を見ると山水画が飾られていたはずなのですが、複製の西洋画に置き換わっていました。ホテルのスタッフに尋ねるも、まったく聞いたこともないとの事でした。

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朝定食のセット。大食堂と呼ばれていた時代の写真と比較しても、殆ど変わらない当時を偲ばせる空間で食べるには些か庶民的過ぎるかもしれません。

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食事をいただき、部屋で休憩してからロビーにやってきました。このロビーは喫煙可らしく、いつも誰からが写真に写っている椅子でプカプカしているのを見ました。

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ロビー正面奥に迎賓庁と額が掲げられた部屋。普段は立ち入り禁止の掲示がありますが、取り除かれていました。このホテルに前回宿泊した時には見られなかった場所でしたが、年輩の日本人団体の後に付いていき今回は入室に成功です。

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側壁は檜、柱は全て金箔が貼られ、天井にはクリスタルのシャンデリアと重厚感に溢れ、背筋が自然と伸ばしてしまう気品を感じさせる部屋です。日本租借時代には満鉄幹部がここで要人を迎え、終戦時に大連に侵攻してきたソ連軍と降伏書に署名したのもこの会議室だったと説明がありました。

団体さんが去った後に案内員と少し話しをさせて頂き、清朝の皇族、東洋のマタ・ハリこと川島芳子(愛新覚羅顯㺭王女)のことが話題となったので、その妹にあたる愛新覚羅顕琦王女とは日本と中国でお会いした事がある話しをしたら、大変驚かれていました。

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2泊と短い間でしたが、随所に歴史と格調を感じられる素晴らしいホテルでした。ホテルの至る所に綻びが感じられるので、天津のアスターハウスのように大手ホテルグループによる大改修が営業継続には必要なのだと思います。何時という詳細を聞くのを忘れてしまいましたが、博物館となる前にヤマトホテル大連の客室から中山広場の展望を独占?できたので満足度の高い滞在ができました。