カンロンヒンを造り続ける最後の工房JIAM SAENG SAJJA訪問

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泊まっていたホテル・シアターレジデンス(宿泊記はコチラ)からトンブリー駅へとまずは向かってみました。日本には1軒もないであろうココナッツ屋に興味持ち、拙いタイ語で話しを聞いたり、作業を見せてもらったりと本来の目的地に到着する前に大幅に脱線。タイの人は他者が近付いてくる事に抵抗が少ない様で、ついつい図々しく踏み込んでしまいます...。

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目指すバンコク・ノイ地区へ行くのに、宿泊中のホテルスタッフに助言を仰ぎました。グーグルマップで見る限りトンブリー駅周辺で線路を縦断できる場所が見つけられず、どう行ったらたどり着けるのか分からず困っていたのです。「あそこには成績優秀なXXXX小学校(名前を失念)がそばにあるので、そこに行きたいと道を聞けばよい」とのアドバイスに従い、道行く人に助けを求めたところ案内を受けたのがこの細い路地でした。

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線路には踏切があり、渡れる区間は決まっているという固定概念を吹き飛ばされる場所に出てきました。渡っても良いのかと躊躇していると、犬が飄々とまずは渡って行き、地元の人と見受けられる人達も線路を歩いて越えて行くので付いて行きました。

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トンブリー駅北側のノイ地区に入れました。左奥に件の成績優秀な学校が見えてきました。写真右手前のお店は駄菓子屋さんで、黒い上下を着た子供が、欲しいものがあるのか商品棚に近づいては遠ざかりを繰り返していました。この子にジェスチャーで金槌を叩く真似をして道を尋ねてみたところ、アッチの奥の道を右に曲がれのサイン。

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彼の指が示す方向に従って、クルマが通れそうもない路地の商店街を進んで行きます。この辺りは道が狭く、火災が発生したとしても消防車が入ってこれなそうで心配です。

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暫く進むと見えてきた壁に描かれた絵を見て、「おおっ、ここで間違えない」と思わず呟いてしまいました。ここが世界で唯一カンロンヒンを造る今回のタイ出張寄り道最大の目的地バーン・ブ・コミュニティのようです。

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画像出典: バンコクポスト

カンロンヒンは神聖な儀式で聖水を入れる銅鉢として使われたもので、アユタヤ王朝期には裕福な貴族達が注文していたと言われています。王朝がアユタヤからバンコク近郊のトンブリーに移転した時に、カンロンヒンの職人達も合わせて移り、ここにコミュニティを形成しました。先日訪問した共同体バーンバット(訪問記事はこちら)も同じくアユタヤより同じく移住と、当時多くの人達が新都トンブリ―へ来たのでしょう。

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事前連絡なしで来たのですが、喜び勇んで勝手に飛び込みました。対応に出てくれた女性によると、自分の目的地JIAM SAENG SAJJA工房とは親族関係であるものの、ここでは銅製カンヒンロンを現在は造ってはおらず、ステンレス製の食器類を主に製造している工場だとか。以前には此でもカンヒンロンを造っていたと、奥から昔の品を取り出して見せてくれました。自分の拙いタイ語力に合わせて、簡単な言葉だけでゆっくり説明して頂けたので助かります。

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せっかくなのでと、工場内の案内をして貰えました。ギーンと凄い音が響く研磨工程に、ステンレス板から製品を形作る絞りの工程等です。スーツ姿で訪れていたのでバイヤーだと思われたらしく、帰り際には名刺を頂いてしまいました。10年程前にこの地区では大きな火事があり、40軒程の家が焼けたそうです。その時にJIAM SAENG SAJJAの工房も焼けて製造を一時辞めていたのだとか。

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その女性から教えて貰った場所に向かい、今度こそJIAM SAENG SAJJAの工房に到着です。来たばかりの路地の途中にあり、普通の民家だと思って見過ごしてしまったようです。よく見ると大きい立て札も出ていました。路地と面した場所には前庭があり、先程の女性によると火災で燃えたのは前庭に立っていた建物だとか。

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敷地に入ると、年配の男性と目が合い挨拶をしました。タイ語しか通じないので、日本から来た旨と見学の希望を簡単に伝えるとコッチへ来いと呼ばれて奥へと案内を受けます。ここがカンヒンロン製造現場と分かると興奮を抑えられませんでした。

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この工房の何が凄いかと言いますと、原材料から製造していることです。専業メーカーで製造された銅板を購入して、それを木槌で叩き銅鉢等を造る作家は日本国内にも多くいますが、銅板を材料から自ら準備しているのは皆無です。タイに限らず昔は世界中どこでも自作するのが一般的だったのでしょうが、分業化が進んだ現代では伸銅メーカーが準備したモノを加工するのが普通となりました。

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目の前の炉はアユタヤ王朝から続く伝統を絶やさずに継承している炉です。白い服を着た作業者は火傷防止の為に頭部全てを覆う黒色マスク、両腕にもガードをしています。作業者の左手には鞴(フイゴ)、正面に火床、坩堝(るつぼ: 金属を溶かすのに使用するツボ)が各種並んでおり、さらに右手には冷却用の油鍋と並んでいるのが見えます。

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写真中央に見えるのが銅板を造る原料となる主材料の銅と錫の塊。此処での銅と錫の比率は銅80に対して錫20で伝統的に作っているとのことです。銅そのものでは柔らかすぎて使用できないので錫を混ぜた合金(青銅)とするのは古代よりの世界で普遍的に見られる製法です。現在では錫の割合が凡そ2割ぐらいにすると銅の硬度が最も高くなると言われています。材料の産地を尋ねてみると、タイ南部(プーケット?)のものだとか。

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材料を投入した坩堝を鞴で風を送って加熱し、青銅の融点900度ぐらい?(銅の融点1085度、錫の融点232度)を越すよう火力を上げていき、頃合を見て右手の鍋に坩堝から溶けた金属を投入。投入した瞬間でシャターを切ったのですが、立ち上る勢いのある炎の余りの明るさで真っ白となってしまいました。水蒸気が見えなかったので、水焼きでなく油を使用していると推測。聞きたいことが沢山あったのですが、さすがに火を扱っている場面で話しかける訳にはいかず、黙って目の前での鍛冶作業見守るだけでした。

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右手の鍋から銅玉を取り出し、鍛冶屋箸で掴みあげて金床に置き、近くにいる若い作業者が相槌を打ち、叩いては火床に投入を繰り返していました。

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裏表を火に焼べているのを眺めていると、作業者が両手を合わせて真剣に祈り捧げ始めました。火と向き合う危険な作業なので神仏に願を懸けているのでしょう。なので邪魔をしないようにと、今回の作業見学はこのあたりで切り上げることにしました。

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火床のある作業場で加熱→叩く繰り返しおおまかなカタチにした後には、細部成型→表面処理→旋盤加工→鉢の口部分加工→研磨仕上げと工程あるはずですが、時間の都合で残念ながら見ることができません。作業場で磨き上げ担当の女性と会えただけに、もう少しの時間が欲しかったです。

日本であれば重要無形文化財指定間違えなしの圧倒される現場に魅せられた自分は、記念に何か欲しいと思い奥にある事務所を訪れました。沢山の完成品を手に取って見せて頂けましたが、基本的にはオーダー品であること、展示品はかなり高額であることを告げられてしまいました。鞄には現金で2万バーツあったのですが、欲しいと思った品は皆予算オーバーでした。