上海・龍華機場の跡地を歩く

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松江区での打ち合わせを終えて、今回の出張のハイライト・(旧)龍華機場巡りをする為にタクシーで上海市中心西南の徐匯区にある龍華寺にやってきました。伝承によるとこのお寺は、三国時代孫権が仏舎利を祭るために建てた仏塔を起源に1,700年以上の歴史を誇る上海一の古刹です。今回の目的地・龍華機場の名前の由来は、このお寺から来ており、ここでお参りを済ませてから出発しようと思います。

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宋代の七堂伽藍様式を模して再建されているので、日本の禅寺とも共通点が見え面白い場所です。参拝に訪れている方々を見ると、文化財観察を目的とした日本での訪問客(観光寺)ばかりではなく、真摯な信者の方々が多かったように見受けられました。世界最大の仏教徒を抱える中国の奥深さの一端が垣間見られた気になりました。

2つ下の写真の矢印1番が龍華寺の位置になります。

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龍華機場へ向かう途中で、行列のできている包子屋さんがあったのでテイクアウトしてみました。一個8角(=14円)で出来立てのを3個頂きました。上海も10月中旬となり日中でも寒さを感じる気候でしたので、熱々の包子は美味でした。

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龍華機場は上海市を流れる黄浦江の西岸、外灘地区から7km程離れた場所に1922年に龍華飛行港として開港。水陸両用で運用され魔都・上海と世界を結ぶ空港となり、中国航空公司、欧亜航空公司等の中国の航空黎明期の代表的な会社の誕生した場所でもあります。日本統治下には海軍飛行場となり1,524m砕石の滑走路と爆撃機100機を駐機できるまで拡張された歴史もあります。龍華機場というと自分にとっては”太陽の帝国”の印象が強く、ゼロ戦が並んでいるイメージが離れません。

大戦後当初は龍華機場が民間、虹橋空港は軍の区分けだったものの、1963年には虹橋空港の民間利用が始まり、1966年8月よりは全ての民間航空会社は虹橋空港へ移ることになり、その後の龍華機場は小型飛行機やヘリコプターが飛来する空港になっていました。市内の広大な未使用空間に宅地化の波が押し寄せ、1994年には1800mあった滑走路を860m縮小されてしまい、昨今の再開発で、その役割を終えることにになりました。

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龍華西路を龍華寺から少し歩くと運河に出ました(矢印2番)。この橋を渡ったところに上海杭州鉄道の軌道が昔のまま残っており、JBバラードが歩いていた土手はこの辺りにあったのか?と考えながら水面を見ていると、ボーイズソプラノで歌うSUO GANが聞こえてくるような気になります。

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豊谷路/にぶつかるに交差点に龍華機場の旧ターミナルビルがありました(矢印3番)。紹興飯店とあったので宿泊施設だと思い、さも宿泊客の様に装いながら足を踏み入れて見ると結婚式場と判明。式の準備中らしく、ロビーホールに正面にある階段から新郎新婦が歩く花道を係りの人が忙しく用意していたので退散。

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弧状のターミナルビルは東洋でも有数の規模を誇るものであったものの、虹橋空港に定期便が移ってからは使用する人もおらず。一時は廃墟化していたらしいので、このように再利用されていると分かり安心しました。

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ターミナルビルを反対側から眺めます。屋上には管制塔の面影が見て取れます。

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豊谷路を東に進むと北側にある上海民航航業技術学院。パイロット養成はしていないもののメカニック、無線や航空輸送等に人材を輩出している学校があったりします。この学校の裏手には航空機の残骸が放置されているとの噂もあるので、次回訪れて時には探検したい場所です。

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さらに歩みを進め、豊谷路と雲錦路の交差点手前(矢印4番)に”上海民航龍華機場”の看板がありました。ここが1,000mに短縮されてしまった時の北門にあたる場所であったことを示しています。内側は公園建設地と駐車場に現在はなってしまっていました。

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豊谷路と雲錦路の公差点に立ち(青矢印)南側を望みます。上海市の浦江開発計画リストに載り、龍華機場を含む西岸地区一帯は再開発が進んでいます。辺りはどこもかしこも建設の最中。ここに見える雲錦路は、南北に滑走路が走っていた場所とほぼ重なり、多くの航空機が離発着した場所です。

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豊谷路を黄浦江へ向かってさらに歩きます。この道は誘導路上にできた道路で、遠くに見える大きな赤い建物(矢印5番)は旧格納庫で現在美術館として利用されています。

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地図を見ても機場西路、機場東一路等、飛行場であったことを示す地名が周辺に多数残っており、歩いていると色々なところに飛行場を示す名残が散見できました。

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突き当りの黄浦江に到達しました。遠方に632m(世界2位)を誇る上海中心と上海環球金融中心、金茂大夏のトリオが現在いる西岸地区からも見えました。その左手に上海のシンボル東方明珠電視塔も写っているのですが小さく見えてしまいます。

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途中で見かけた美術館・余徳輝美術館です。インドネシア華僑のブディテック氏の私設美術館で、航空機格納庫をリノベーションした会場で、広さを生かした現代アートを楽しめる場所です。RAIN ROOMを楽しみに、楽しみにして来ましたが・・。

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10月13日~28日は設備メンテナンスで休業中。この美術館訪問が今回の上海訪問の主目的だったのでショックを隠せず。

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格納庫だけでも覗けないかと裏手を見るも、工事関係者とその車で入る隙間なし。諦めて龍騰大道を南に歩き、何か面白いものがないかと探すことにしました。

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オイルタンクが立ち並ぶ地区(矢印6番)を発見。ここもリノベーションをして2017年には一般開放される模様。

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油缶芸術公園の完成予想図。現在残っているタンクは5基のみ。完成予想図(オイルタンク9基)はあくまで、楽しそうなイメージを伝えるのが目的であって、この通りになるとは書いてないと理解。

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解体中の巨大なドーム型設備。この西岸一帯は産業地区だったのが、今回の再開発で新しく都市型休息&芸術空間に変貌まっしぐらです。

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この地域を歩いている間、始終目にしていた上海国際航空服務中心の高層ツインタワーの完成予想図。スカートの様に広がる外壁が特徴のようで、完成したら実際に内部がどうなっているのかを見上げてみてみたいものです。

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旧滑走路の南側から北方向の眺め(青矢印)。ここは上海一の並木道になる予定。

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滑走路のあった雲錦路を北へ歩きます。途中にツインタワーと同じデザインで建設中の建物がありました。見渡す限り誰もいないので入って行けそうな気もしますが自重しました。ここは5星ホテルになるそうです。

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雲錦路と豊谷路の交差点へ向かっている途中に”滑走路公園”と実に魅惑的な名前の看板を発見。場所からして滑走路跡地に作った公園なので”滑走路公園”と銘打っているだけなのでしょうが嬉しくなるネーミングです。航空公園ではなく滑走路公園!!

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滑走路公園の建設現場を搬入部より少し覗いてみました。公園中央部を貫いているのは滑走路!!運河の流れる公園イメージ図からは、滑走路がそのまま残るかは不明ですが、滑走路公園の名前に負けずに是非とも有効活用を願いたいところです。

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より北側からの滑走路公園の眺めです。ここらあたりからだと公園らしさが感じられます。公園北側から先行して整備をしており、こちらは半完成であると仮定すると、滑走路は全部取り壊しを逃れられるように思われます。完成した暁には、旧滑走路上を散歩できる素晴らしい公園になりそうです。

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芝生に埋め込まれた大きな石もよく見るとアスファルトで、おそらく滑走路を撤去する時に出たもの(滑走路の一部)を再利用したのだと推測。この辺りを見ると、この公園の完成した姿を確認せずにはいられない気にさせられます。2016年完成(予定)と書かれていたので、入館の叶わなかった余徳輝美術館と併せて再訪を決意しました。